ゲルニカ訪問記②ビルバオから日帰り観光 今だからこそ行くべき 巨匠 ピカソが描いた街/スペイン・バスク旅行記

【バスク】

2022年9月にスペイン北部バスク地方を旅行し、ビルバオからゲルニカへ日帰りで観光をしましたのでご紹介いたします。

ゲルニカとは:

  • ピカソの超大作 スペイン内戦の悲劇、戦争の恐怖と無秩序を表現した「ゲルニカ」で有名
  • 「ゲルニカ」の作品はマドリードのソフィア王妃芸術センターに展示(*写真不可)
  • 街には「ゲルニカ」の絵を再現した壁画がある
  • スペイン内戦中の1937年4月26日、フランコ軍に味方するナチスのドイツの空軍機に襲われた街
  • 史上初の、都市無差別爆撃により2000人以上が死傷し廃墟と化した

アクセス:ビルバオ(Bilbao)市内からゲルニカ(Gernika)へ

  • ビルバオからは、バスまたは鉄道(Eusko Tren)でのアクセスとなります

アクセス:ベルメオからゲルニカへ 鉄道のEusko Trenを利用 

ベルメオからゲルニカへは鉄道のEusko Tren(E4)で約23分

14:48 ベルメオ発

今回は、ビルバオ〜ガステルガチェ 〜ベルメオ〜ゲルニカと巡りました。

ベルメオからゲルニカまで鉄道のEusko Trenが便利でした。

こちらも便利なBarikカードが使えます。ゲルニカまで1.8€でした。

車体も比較的新しいし、明るい感じです。

ビスケー湾を眺めながら。。

ウルダイバイ河口は、自然保護区域があり、ユネスコの生物圏保護区に指定されているそうです。

ムンダカまたはゲルニカ河口とも呼ばれるそうです。

ゲルニカには3つの駅があるので、やや注意が必要ですが、間違えたとしても歩けなくはない距離かと思います。

こちらではなく。。↑

2つ目のGernikaという駅です。

↑列車の画面に駅名が出るのでわかりやすいです。

15:11 ゲルニカ着

Gernikaの駅に到着(15:11)

Eusko Trenは、出るときにも改札口でBarikカードをピッとタッチします。

帰りの電車をチェック。30分おきにMatiko-Bilbao 行きがあります。

ゲルニカの駅周辺

駅を出て左に行くと、バス停があります。こちらからビルバオ行きもでるようです。

ゲルニカのみどころ

  • バスク議事堂(Gernikako Batzarretxea)ゲルニカの木
  • ゲルニカ 平和博物館(Museo de la Paz de Guernika)
  • ゲルニカを再現した壁画
  • サンタマリア教会

↓地図のマークをクリックすると説明がでます

コンパクトな街ですね。

まずは、平和博物館を目指します。

駅前の道をまっすぐ進むと。。。広場のようなところに出ました。

カフェも多くて、のどかな雰囲気です。

さすがというか、平和を考える街だけあって、ウクライナに対するメッセージもありました。

ゲルニカ 平和博物館(Museo de la Paz de Guernika)

  • 2002年に開設され、 資料の展示というより、人々の感覚や心に働きかけることが目的
  • 展示は「平和とは」「ゲルニカの空爆の遺産とは」「現在の世界における平和とは」という三つの質問に基づき構成されている

入場料は、二人で12€でした。(カード払い可)

展示はスペイン語・バスク語の説明となり、英語の説明が展示にはないので必要なら英語の説明のファイルを貸してくれます。

ゲルニカの木のステンドグラスが美しいです。

3階建てになっていて、比較的コンパクトにまとまっていました。

視聴覚コーナーでは、当時の家を再現してゲルニカの空爆を追体験することができます。

当時の映像からは、生々しい、悲惨な状況が伝えられます。

爆撃後の、がれきなども展示してありました。

こういった戦争系の博物館は、広島や、ベトナムなどでみてきましたが、久しぶりに色々と考えさせられました。

ピカソのゲルニカ

ピカソが描いた「ゲルニカ」の絵をモチーフにしたプリズムを使い、世界平和の現状を学び取る空間もあります。 

トイレも利用できました。

バスク議事堂(Gernikako Batzarretxea)ゲルニカの木

平和博物館から、バスク議事堂へ。(ホームページ

  • 現在も現役の議事堂としてバスク州会議が開かれている場所
  • 1937年のナチスドイツの空爆を免れた建物
  • バスク地方の象徴であるゲルニカの木がある(中世にこの樫の木の下で独立の宣誓が行われことから、バスクの自治の象徴とされている)現在の木は5代目。
  • 議事堂内には、ゲルニカの木を描いたステンドグラスの天井の部屋がある。
  • 「ゲルニカの木」と呼ばれるこの樫の木はバスクの自治・独立の象徴でもあり、バスク自治州の紋章にも描かれている
  • 入場料:無料(要予約)ホームページ

なんと、、、まったく調べていなかったのですが、こちらは定員に限りがあるようで要予約でした(泣)

ちょうどシエスタ時間で、スタッフもおらず。。お庭を見ることにしました。

お庭には、ゲルニカの木があります。

中に入らないとしっかりみえませんが、格子の間からもうひとつのゲルニカの木をみました。

シエスタが終わったようで、予約時間に観光客が並び始めました。

スタッフにきいてみましたが、16:15は満員のようで予約が必要とのこと、17:15だったら2人空いていると言われましたが、あまり遅くなるのも嫌なので今回は断念しました。

こちらのQRコードから予約ができるそうです。

しかたなく、ゲルニカの壁画を見に行きました。

サンタマリア教会

途中で、サンタマリア教会が見えて来ました。

15世紀に建てられたゴシック様式とルネサンス様式が混在する教会となっています。

ゲルニカの空爆にも耐え、空爆の時には警報の代わりにこの教会の鐘が市内に鳴り響いたとのことです。

ゲルニカを再現した壁画

  • スペイン内戦中1937年4月26日にフランコ軍に味方するナチスのドイツ軍が介入しゲルニカの街を無差別爆撃した出来事を主題としたパブロ・ピカソによる作品「ゲルニカ」は、美術史において最も有名な反戦絵画
  • 1937年6月に完成し、縦349cm×横777cmの壁画サイズの油彩作品で、現在はスペインのソフィア王妃芸術センターが所蔵

●ピカソと歴史

ピカソ(1881-1973)スペイン世界
1881年 スペインのマラガで生誕

1895年 バルセロナに移住
パリとの往来

1904年 パリでアトリエ
1873-5年 第一共和政
(共和政は反王制派)

議会制民主主義








1923-30年 独裁政権

1930年 第二共和政









1914-8年 
 第一次世界大戦
 スペインは中立

1929年 世界恐慌
左派的な反体制の立場

左派政権から、
パリ万国博覧会の
壁画作成の要請
1936-9年 スペイン内戦
共和国・左派(反ファシズム)
反乱軍・右派(フランコ軍)

1937年 ゲルニカ爆撃
1936年 
日独伊防共協定
1937年 パリ万国博覧会
 ゲルニカ完成

ゲルニカは世界を回り
NYのMOMA美術館へ

1944年 フランス共産党に入党


1939年
バルセロナ・マドリード陥落

1938年
 日独伊三国同盟



1973年 没
1936-75年 フランコ独裁政権

バスク・ガリシア・カタルーニャ語
など地方言語禁止
1945年 
第二次世界大戦
スペインは中立


1981年 ゲルニカがスペインに返還
1975年 フアン・カルロスが王位

1978年 新憲法制定
民主化

スペイン内戦では、民主主義的な共和国政府に対し、反乱軍・軍人のフランコが専制国家を目指して内乱をおこしました。

ソ連は共和国政府軍を支援、逆にドイツ・イタリアは、フランコの反乱軍を支援するという構図でした。

スペイン内戦
  政府側
共和国 左派
(反ファシズム)

反乱軍 右派
(フランコ軍)
 中立
支持ソ連
メキシコ
ポルトガル
イタリア
ドイツ
イギリス
フランス
共産主義
民主主義
カトリック
キリスト教
全体主義

1937年1月、スペイン共和国政府は、ピカソにパリ万国博覧会 (1937年)のスペイン館へ展示するための絵画制作を依頼していました。

そのような中、1937年4月に、ドイツ軍によりゲルニカが無差別空爆され、街が”全滅”してしまったのです。

その事実を新聞で知ったピカソは驚愕し、これまでの作品の案を一掃し、一心不乱にこの「ゲルニカ」という超大作を約1ヶ月で完成させます。

スペインの内戦(1936-1939年)は、反乱軍側(フランコ)の勝利で終わり、内戦の死者は30万~40万人とみられます。

その後、フランコによる独裁政治(ファシスト体制)は、フランコが死亡する1975年まで続きます。

ピカソは自ら追放者となって死ぬまでフランコ政権と対立し、スペインに戻ることはありませんでした。

パリ万博で展示された後、ゲルニカはピカソの意思により、フランコ政権が終わるまでニューヨーク近代美術館に置かれ、ピカソ死後の1981年にようやくスペインに返還されました。

「ゲルニカ」にはタペストリーが3つ制作されており、国連本部が有名ですが、フランスの「ウンターリンデン美術館」、そして日本の「群馬県立近代美術館」にも所蔵されています。

日本の徳島県鳴門市にある大塚国際美術館には絵画の実物大のレプリカがあり、東京の丸の内のビル「オアゾ」内には、彫刻の森美術館で展示されていた陶版があります。

ゲルニカの駅からビルバオへ  バスク鉄道 Eusko Tren

16:45 発  Matiko-Bilbao 行きでビルバオへ戻ります。ここからは約1時間かかります。(3.4€)

車内の様子。最終的にそこまで混むことはありませんでした。冷房が効きすぎてちょっと寒かったです。

17:40 Matiko 到着。 旧市街あたりに宿泊されていたら、Casco Viejo での下車が便利かもしれないです。

改札で、Barikカードをタッチします。 

Matiko-bilbao駅周辺からフニクラの駅へ

フニクラに乗りたかったので、ここから近いため歩いて向かいました。

けっこう、川に向かって坂道が続きますね。

この辺りも可愛らしい街並みです。

フニクラ駅の前の広場。

奥がフニクラの駅です。

まとめ

  • ベルメオからゲルニカまでバスク鉄道利用しました
  • ゲルニカの街は、1時間半ほど滞在しました
  • バスク議事堂の見学は定員があり予約が必要でした。
  • バスク議事堂を今回は見学できませんでしたので、全部見学するとなると最低でも2時間ほどは必要かもしれません
  • ゲルニカからビルバオもバスク鉄道を利用して帰りました。
  • こういった不安定な時期だからこそ、ゲルニカを訪れて平和の大切さを再認識する良い機会となりました
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【バスク】 ビルバオ
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